本日はひゃくまんさんがいないので、かわりに父による代筆でございます。
なかなかひゃくまんさんも高校生活に苦戦しているようです。
そんなひゃくまんさんに父である僕からエールを送りたいと思います。
結果を出せ!がんばったどうかは関係ない!結果を出せばすべてが変わるのだ
がんばったかどうかなんて関係ないという身もふたもない話です。
今、僕の会社では人事評価の時期になっています。
僕は営業の仕事をしていて、部下たちを評価する立場にあったります。
そこで常々話しているのが、結果(絶対値)で評価するということです。
営業でいうと受注の数字ですね。
予算に対しての達成率、これほど明確な指標はありませんね。
手持ちの顧客や案件から、少し頑張らないと達成できないラインの予算設定をして、予算を達成したかどうか、その結果が評価するようにしています。
だから残業しようが休日出勤しようが、どれだけ時間を費やそうがそんなことは評価しません。
数字を達成したかどうかがすべてなんです。
逆を言えば、別にいくらサボったってかまわないし、いつ有休をとろうが何も言いません。
僕にしたって、週に2日くらいしか会社にはいきませんし、残業は全くしません。
その代わりに受注数字という絶対値だけはなにがなんでも達成させます。
「結果がすべてで評価する」わけです。
野球選手やサッカー選手なんかもそうですよね。
誰よりも練習しても、結果が出なければクビになる世界です。
結果がすべてだからこそどうにか結果を出そうと工夫したり、効率化をはかったりするわけです。
勉強も結果がすべて
勉強についても結果がすべてですね。
受験や資格試験も合格したかどうかでしかありません。
効率的に1日1時間勉強して、東大に合格したAさん
1日8時間勉強したけれど、東大が不合格だったBさん
結局優秀なのはAさんです。
勉強した時間はなにも考慮されないということです。
頑張ったことを評価してもらえるのは子どもだけ
がんばったことを評価してもらえるのは子どものころだけです。
結果は出ていなくても、頑張っている姿を親は見たいですからね。
勉強している姿をみれば「えらいね」と声をかけたくなります。
子どものころ、そんな風にしてほめられてきたから勘違いしてしまうのも無理はありません。
でも、結果がすべてであるということは早めに知っておいてほしいと思います。
結果が出る(小さな成功体験)がさらに次の結果につながる
結果が出る(ちいさな成功体験)を積んでいくことが、モチベーションとなっていきます。
- スポーツができない→スポーツが嫌い
- 勉強ができない→勉強が嫌い
- 人と話ができない→人と話すのが嫌い
苦手なことって嫌いになってクてしまいます。
逆に
- スポーツができる→スポーツが好きになる
- 勉強ができる→勉強が好きになる
- 友達が多い→人と話すのが好きになる
生まれつきある程度できる人は、自然とさらに好きになり、さらに得意になり、自信を持てるようになります。
苦手で何かとできない人はどんどんいろいろなことが嫌いになっていきます。
この負の連鎖を断ち切るためには、一度頑張って得意にならないといけない。
1回頑張らないと。
できないことを「自分は苦手だから」「自分は好きじゃないから」というのは保身なんしょうね。
自分が肯定しないとやってられないから。
でも、そのままでいることは解決にはならない。
先手必勝、どこかで頑張ってできるようになること。
結果が出る→好きになる→さらに得意になる→自信が出る。
いつだってこの流れです。
ただ漠然と「がんばる」という言葉を使いがちですが、結果を出すことにこだわって突き抜けるまでやってはじめって頑張ったと言っていいんじゃないかと思います。
さいごに
「結果がすべて」というと大人でもちょっと冷たい気がするかもしれません。
でも、結果こそが資本主義における最大の自由じゃないかと思うんです。
どれだけ結果を出したところで給料が変わらなければ、僕はがんばる気も起きなくなってきます。
だから、公務員とか時給制のバイトなんかはちょっともうできないかな。
年功序列の会社だったら多分仕事もやめてると思います。
結果を出したら正しく評価してもらえる世界であってほしい。
そして、今この世界は結果を出したら評価してもらいやすい環境になっています。
結果にこだわってほしい。
友達ができれば友達といることが楽しくなる
勉強ができれば勉強することは好きになる
我慢することはがんばることじゃない!
結果を出した後で行ってきた工夫を振り返り、「がんばった」といえたらいいね。